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【国産時計の語れるうんちく】知れば知るほど面白い時計の“歴史”-最終回

第4回 – 知れば知るほど面白い時計の“歴史”③

 調査技術歴史の三つの項目に分けて、国産時計にまつわる“うんちく”を紹介する短期連載企画。最終回は時計にまつわる“歴史”ネタの第3回目だ。

 

》現存しない幻の時計メーカーを調査

 かつて実在した時計メーカーを調査した。戦時中の時計不足の反動から需要が高まった1940年代には、富士時計や、日東時計などのメーカーも誕生しているが、活動期間わずか2年で終止符を打っている。

 また販売店から時計製造に着手した鶴巻時計店も、50年に不況のあおりを受けて解散。一方、時計とは別の製品の製造に転換することで存続するのが“愛知時計電機”だ。

 戦後、時計製造で培った精密歯車技術を生かし、現在は時計製造でなく、水道メーターなどのメーカーとして活躍している。

 

》1964年の東京オリンピックはどのように実現したのか

 1964年の東京オリンピックの際に公式計時の役割を果たしたセイコー。公式計時への挑戦は、当時の服部正次社長が60年に開かれたローマオリンピックの視察報告を受けたことがきっかけだった。

 オリンピックの計時といえば32年のロサンゼルス大会以来、オメガやロンジンの独占状態であり、さらに当時、グループでスポーツのタイム計測の知識をもつ人はおらず、ストップウオッチすらセイコーには開発経験はないなかでの挑戦だった。

マラソンタイマー

 大会まで期間が迫っていたため、観客用大時計など大型のものを精工舎、ストップウオッチや水泳用電子計時装置を第二精工舎、ロードレースの親時計などとして持ち運びできたクォーツの“クリスタルクロノメーター”を諏訪精工舎とグループ3社で分担して各種機器を開発。

 結果、画期的なストップウオッチなどの開発によって正式に公式計時として指名。36機種1278個に及ぶ機器と172名の人員を動員して大会を成功に導いた。

 さらに小型水晶時計などの技術力も世界で認知され、国際的なブランド力を高めるきっかけともなった。

 

ここもポイント – 当時実際に使用されたストップウオッチ

1/10秒計積算式ストップウオッチ

 東京オリンピックに使用された機械式モデル。テンプの軸にハートカムを装置することにより、正確な計測を可能とした。

 右のボタンで計測を開始、左右のプッシュボタンを同時に押すことでスプリットタイムの計測を開始する。ストップウオッチ間の機械的な個体誤差や、使用者の視認上の誤差の双方をなくし、また競技のルールによって、1/5秒計・1/100秒計・ボート用など多くの種類が専用に開発され、オリンピック史上初の計時ミスゼロに貢献した。

 

 これまで三つの項目にわけて、語れる国産時計のうんちくをお届けしてきた。時計好きの方でも知らなかった人も多かったのではないだろうか。知っているとちょっと鼻高々になれるため、第1回から5回までを読んでいない方は見てみてほしい。

 

構成◎松本由紀(編集部)/文◎Watch LIFE NEWS編集部

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