スペシャル @kikuchiのいまどきの時計考

【第3回】個性派ブランドが牽引する|平成11年〜平成20年(1999-2008)

世界的な時計ブームが
加速させた機械式の復権

 平成11年(1999年)からの10年はどうだったのかを見ていきたい。この10年をひと言で言えばまさに時計バブル時代。世界的な時計ブームも追い風になり、スイスの時計産業も右肩上がりに急成長、完全復活を果たした。もちろん、これには中国などの新興国の台頭も背景にあることは言うまでもない。

 一方、99年にはLVMHグループがタグ・ホイヤーを傘下に収めて時計業界に参入するなど、スウォッチグループ、リシュモングループ、そしてLVMHグループという巨大資本の3大グループという構図が時計市場に確立されたのもこの時代である。老舗メゾンのほとんどがこの巨大グループに集約され、それに属さない歴史あるブランドは、ロレックス、パテック フィリップ、ブライトリングなどのほんの一部となった。

 この盤石な資本力を生かして各社は競うかのように複雑時計の開発を進めた。そして〝複雑系至上主義〟などと揶揄されるほど、バーゼルワールドで発表される新作には技術力の高さを誇示するものが多かった。平成最初の10年と状況はまったく変わってしまったのである。

 同時期の日本でも時計ブームは起こっていた。それを牽引していたのは97年以降から空前のブームとなっていたロレックスである。加えて企画冒頭のページでも触れたパネライとフランク ミュラーなどの新しいブランドの存在も大きい。

 また、日本における並行輸入市場が急成長したのもこの時代だった。現在のスイスフランの為替レートが110円台に対して99年頃のそれは60円台後半とかなりの円高だった。そのため、並行市場での価格的なメリットもあり、さらに頑張れば手の届く価格帯に人気モデルが多く存在し、選択肢が多かったということも追い風になったことは間違いない。

人気モデルを小出しにする
ロレックスの巧みな戦術

 そんな日本における時計ブームの中心にあったのはまさしくロレックスだろう。そこでちょっとここでロレックスの平成11年からの10年間についておさらいしてみたい。

 平成元年にCal.3135を発表してからというもの、既存モデルへの移行作業を90年代前半までに終えると、その後はほとんど新たな動きは見られなかった。それが99年のヨットマスターロレジウムの発表を皮切りに、毎年何かしらの新しいモデルを発表するなど、その動きが顕著となったのだった。

2000年、完全自社製クロノグラフムーヴメントとなるCal.4130を搭載して登場したデイトナのRef.116520。平成時代のロレックスブームの中心にあったのは、何と言ってもこのデイトナだった

 そして2000年、その後の躍進を果たすきっかけとも言えるある発表に注目が集まった。それが自社で開発した自動巻きクロノグラフムーヴメント、Cal.4130と、それを搭載する新デイトナだ。

 翌年にはエクスプローラーⅠとサブマリーナのノンデイトタイプがマイナーチェンジ。03年にはサブマリーナ誕生50周年を祝した記念モデルとして、ベゼルにロレックスのコーポレートカラーであるグリーンを採用したサブマリーナデイトを発表して大いに話題を呼んだ。

 その後も、04年にデイトジャストのリニューアルに伴い、同ラインにターノグラフ名を復活。05年にはドクターズウオッチの愛称で知られる往年の名作、プリンスをチェリーニラインに復活させた。加えて07年に発表された1000ガウスの高耐磁時計、ミルガウスとまさに復活ラッシュとなったのである。

実に15年以上の時を経て2007年に復活を遂げたミルガウス(Ref.116400GV)。当時は黒・白文字盤の2種類の通常タイプとこの写真のように風防がグリーンがかったものとが発売された。なかでもこのグリーン風防タイプは当初流通数が極端に少なく200万円という記録的な実勢価格を叩き出した

 これによってロレックスファンならずとも毎年何が出るのかが話題になり、新作が発表されると雑誌などのメディアも大きく取り上げた。そして、これは当時の実勢価格にも影響を与え、新作モデル=プレミアム価格化という異常な方程式を生み出してしまった。その最たるものがミルガウス。当時の国内定価72万4500円に対して一時200万円という高値を付けたほどだ。

 もちろん、この時代はデイトナ以外のすべてのスポーツモデルの並行輸入価格は定価よりも2割ぐらい安く手に入った。まさに手の届く高級品だったこともロレックス人気を支えていたことは確かだ。しかし、これに加えて、こうしたロレックスによる巧みな戦略も人気を加速させていったことは間違いない。

ロレックスに続く新たな
人気ブランドの登場

 ロレックスと同じとまではいかないが、時計ブームを牽引する人気ブランドがほかにも複数あったこともこの時代の大きな特徴と言えるだろう。

 その筆頭に挙げられるのが、パネライ(写真左)とフランク ミュラー(写真右)である。ちょうど小誌が創刊した2001年はこの2者が絶頂期だった。そのため創刊号でフランク ミュラー、創刊2号目でパネライとそれぞれに特集を組んでいる。そして02年には〝ロレックス、パネライ、フランク ミュラー 3大ブランド腕時計大全〟と題した増刊号まで刊行している。それほど絶大な人気を誇っていた。雰囲気もさることながら、ベーシックなものは3ブランドとも実勢価格30〜40万円で手に入れられたことも人気を押し上げた要因のひとつと言えるだろう。

 また、カルティエ、シャネル、ブルガリといった宝飾系ブランドがメンズ機械式時計へ積極的に参入したことも、ユーザー層の裾野を広げるなど大きく貢献した。このように、ロレックスに続く新たな人気ブランドの台頭が、この時代の躍進を大きく支えたのだった。

さて、最終回は平成21年〜平成31年(2000-2019)について取り上げる。(※426日公開予定)

【第1回】1990年代に巻き起こった3つのムーブメント|平成時代と時計市場

【第2回】機械式時計が復権を果たす|平成元年〜平成10年(1989-1998

菊地 吉正 - KIKUCHI Yoshimasa

時計専門誌「パワーウオッチ」を筆頭に「ロービート」、「タイムギア」などの時計雑誌を次々に生み出す。現在、発行人兼総編集長として刊行数は年間20冊以上にのぼる。また、近年では、業界初の時計専門のクラウドファンディングサイト「WATCH Makers」を開設。さらには、アンティークウオッチのテイストを再現した自身の時計ブランド「OUTLINE(アウトライン)」のクリエイティブディレクターとしてオリジナル時計の企画・監修も手がける。

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