プラチナケースにダイヤ入りとかなりドレッシーなロレックス・デイデイト。豪腕なプロレスラーらしく、ブレスレットのコマは3コマほど足して使用している
ミスタープロレス の称号を持つ偉大なレスラー、天龍源一郎。そんな天龍選手が持ってきてくれた愛用の時計は、ロレックス・デイデイト。プラチナケースでベゼルと文字盤にダイヤをあしらった目映いばかりの逸品だ。
「この時計はジャイアント馬場さんが同じものを持っていて、いつも自慢してたんですよ。馬場さんが買ったころは1ドルが360円の時代だから、1000万円くらいしたと思うんだけど、自分もちょっとでも馬場さんに近付きたかったし、いつか買ってやろうと思ってましたね。手に入れたのは15年くらい前かな。プロレス大賞の年間最優秀試合賞をもらったときに、女房が買ってくれたんです。そのころでも4~500万円はしましたね」
最もいいものを1本だけ持っていればほかの時計は必要ない。この時計はそうした哲学から選ばれた。そんな天龍選手も、もともとは時計にさほど興味はなかったという。
この時計はジャイアント馬場さんが同じものを持っていて、いつも自慢してたんですよ。
「若いころはラドーやウオルサムが憧れの時計で、ちょっといいなとは思ってたんだけど、自分で買うことはなかったですね。大相撲にいた頃はみんなで部屋に住んでいて、稽古するのも食事するのもみんな一緒。プロレスも巡業に出ればみんなで移動するし、ずっと集団生活ばかりだったから時計は必要なかったんですよね。新弟子のころは、ちょっといい時計なんか持っていると、兄弟子が勝手に質屋に入れちゃったりしますしね(笑)。国産の計算機付きデジタル時計とか、ふざけた時計しか持ってなかったな」
馬場さんには、高価じゃなくてもいいから人に見下されないような
きれいな格好をしろとよく言われました。
しかし、人に夢を売る商売でもあるプロレスラーは、常に人の目を意識することが重要なのも事実。そのことについては、天龍選手をプロレスの世界に導いてくれた故・ジャイアント馬場選手も徹底していた。
「馬場さんには、高価じゃなくてもいいから人に見下されないようなきれいな格好をしろとよく言われました。あの人は身体の大きな人だったから意外かもしれないけど、実は非常に細やかな感覚を持っていたんですよ。だから着るものやちょっとした持ち物も、どれもこだわりが感じられましたね。それは力道山の影響もあったと思う。力道山も当時としてはすごくお洒落な人だったし、それを間近で見ていた馬場さんやアントニオ猪木さんは、気風を受け継いだんだと思います」
そんなプロレスラーらしさは、天龍選手もしっかりと継承している。豪放さのなかに潜む繊細さ。このデイデイトにも、そんな感覚が垣間見える気がした。
GENICHIRO TENRYU 1950年2月2日生まれ。福井県出身。1963年に大相撲・二所ノ関部屋に入門し幕内まで昇進。1976年にはプロレスラーに転向し、全日本プロレスに入門。ジャンボ鶴田や長州力らと名勝負を繰り広げる。その後はSWS、WARなどの団体を経て現在はフリーで活躍。獲得タイトルも3冠ヘビー、IWGPヘビー、世界タッグほか多数。