近藤さん愛用の懐中時計。中央下が自分で始めて買ったヘプドマス。左下がお母様が愛用していた時計だ
腕時計がこれほどまでに普及しても、その歴史はまだ100年ほどだ。一方で懐中時計が生産されるようになったのは17世紀頃。いまだに懐中時計の愛好家が多いのは、この歴史の重みがあるからなのかもしれない。
俳優の近藤正臣さんも懐中時計に魅せられたひとり。インタビューの場に持ってきた小振りなレザーポーチのジッパーを開くと、古めかしい懐中時計たちが顔をのぞかせた。少なく見積もっても30以上前に製造されたものばかりだが、どれもしっかりと時を刻み、機械式ならではのチクタクという音が重なり合って、その場に広がる。
「母が持っていた懐中時計に影響されたんだと思います。すごくかっこ良かったんですよ。着物の帯のところに寝付けを付けて、それをビュッと引っ張って時間を見ていたお袋がいまして……」
母が持っていた懐中時計に影響されたんだと思います。すごくかっこ良かったですよ。
「何でもそうだと思うんですけど、便利であるものは基本的には面白くない。不便は多少面白い。手をかけるということだと思うんだよね。手で巻いてやったり、ズレを直したり。癖があってわかるんですよ。大体1日1分ズレるかなとか。そこが生き物みたいでね。ご飯をやらないと疲れて寝ちゃうみたいな」
この懐中時計も時間がずれたり止まったりして、不確定じゃないですか。
そんな絶対にこうなると決まってるわけじゃないものと向き合ってる感覚が好きなんでしょうね
そんな付き合い方が自分のリズムに合うという近藤さん。趣味の渓流釣りにも懐中時計に通ずるものがあるようだ。
「釣りは景色として眺めたときには平和そうだけど、実際にはゆったりした時間が流れているわけではなくて。心の中では焦りや嫉妬が渦巻いていて、そこに立つと僕はもう鬼と化しますよ(笑)。でもいつだかどこだかなぜだかわからないけど、続けて3匹がセオリーどおりに大、中、小と釣れたりすることがあるんです。そのときはもう奇跡が起きたような気分になって。この懐中時計も時間がずれたり止ったりして、不確定じゃないですか。そんな絶対にこうなると決まってるわけじゃないものと向き合ってる感覚が好きなんでしょうね」
懐中時計は自分だけの時間との関係を生み出す大切な相棒。近藤さんはそう言わんばかりの表情で、愛用の時計を握り締めていた。
MASAOMI KONDO 1942年2月15日生まれ。京都府出身。1966年、今村昌平監督『人類学入門』でデビュー。1969年にはテレビドラマ『柔道一直線』で主人公のライバル役を演じ、人気を呼ぶ。現在もテレビ、映画、舞台と幅広く活躍。昨今は、映画『妖怪大戦争』やNHK大河ドラマ『功名が辻』に出演。趣味の渓流釣りを通じて、自然保護活動にも積極的に取り組んでいる。