前回のシュヴァルツヴァルト地方の時計産業は主に森林資源を生かした木製のクロック製造が盛んだったのに対して、ドイツ時計産業を牽引したもうひとつの産地、グラスヒュッテは、エルツ山脈の麓にあり四方を山に囲まれた小さな街ながら、近くにザクセン公国の首都ドレスデンがあったことから、懐中時計、いわゆる金属製のウオッチを主に製造していたのである。
そもそもなぜこんな山あいの小さな街に時計産業が興ったのかご存じだろうか。A・ランゲ&ゾーネの創業者である“アドルフ・ランゲ”が1845年に産業を興したことはよく知られているが、その理由を知っている人は、グラスヒュッテの時計好きでない限りあまり知られていないかもしれない。
フェルディナント・アドルフ・ランゲは救済事業の一環として雇用を生むためにグラスヒュッテに時計産業を興した
グラスヒュッテはもともと銀鉱山で栄えていた街だった。しかしながら、19世紀に入ると銀も枯渇してしまい、街自体はかなり貧困に苦しんでいた。アドルフ・ランゲはその救済事業の一環として、この地に雇用を生み出すために時計産業を立ち上げたと言われている。
そしてグラスヒュッテはそもそも木彫りの人形などの手工芸も大変盛んだったようで、それによってここの人たちはとても手先が器用だった。そのため現地で採用した弟子たちは、その器用さを生かしてとても優秀だったとも言われている。また、この噂を聞いた優れた時計師の多くが次第にこの地に移り住んで来るようになり、グラスヒュッテ製の時計は高い品質をもつようになる。やがてドイツ国内でも高い評価を得るようになり、アドルフ・ランゲはグラスヒュッテに時計産業を興してから、わずか10年足らずでドイツにおける時計産業の中心的な存在にまで躍進させることに成功したのだった。
このように飛躍的に発展したグラスヒュッテの時計産業だったが、規模としてはそれほど大きなものではなかった。
そこで1918年に創業した“ドイツ精密時計会社グラスヒュッテ(略称DPUG)”はスイスにも劣らない最新の設備を導入することで、産業の近代化を図ろうとしたのである。しかしながら第1次世界大戦後のハイパーインフレやスイス製時計に対する輸入関税廃止などの影響を受けて、DPUGだけでなく当時のグラスヒュッテの時計メーカーは倒産の危機に瀕していたのだった。
それを受けて当時の政府は、DPUGを“ドイツムーヴメント製造会社グラスヒュッテ(通称UROFA/ウローファ)”と“グラスヒュッテ時計会社(通称UFAG/ウファーグ)”に分割したうえで存続させたのである。そして両者の社長となったのがエルンスト・クルツ博士だ(現在のチュチマ・グラスヒュッテの前身となるクルツ時計会社の創業者)。
弁護士にしてマネジメントにも長けていたエルンスト・クルツ博士は窮地に立たされていたグラスヒュッテの時計産業を最新の製造プロセスを導入して立て直す
クルツ博士は、弁護士であると同時にマネジメントにも優れていたようだ。彼はグラスヒュッテの時計産業を復活させるために、腕時計の機械生産を積極的に推進。最高品質を示すチュチマラベルを使用した優れたムーヴメントの量産化を成し遂げた。なんと30年代にはグラスヒュッテに1000人規模の雇用を創出するなど、20年余りで大成功を収めている。
そして第2次世界大戦期まで数多くの名機をリリース、なかでもキャリバーUROFA59を載せた軍用クロノグラフ(1941年発表)はチュチマの名声を高めた傑作として知られる。
ドイツ軍の要請で1940年に開発さえれたフライバック機能付き傑作ムーヴメント“ウローファ59”を搭載したフライバッククロノグラフ
息を吹き返したグラスヒュッテの時計産業だったが、またもやそれを揺るがす出来事が起こる。第2次世界大戦の勃発である。当然、時計の大量生産ができるUROFA/UFAGはもちろん、当時この地で船の位置などを正確に把握するための船舶時計、マリンクロノメーターを製造していたA・ランゲ&ゾーネとヴェンペもドイツ軍の指定工場に認定される。そして両者は、シュヴァルツヴァルト地方の時計メーカー、ラコとストーヴァとともに空軍向けの軍用時計“通称Bウオッチ”の製造を担ったのである。
当時のアメリカ軍やイギリス軍は主にスイスの時計メーカーから軍用時計の供給を受けていたが、ドイツ軍においては、陸軍はスイスからも時計を調達していたようだが、空軍と海軍は高い精度が要求されたために、そのほとんどを自国で賄ったと言われている。つまりドイツの時計製造に対する技術レベルは当時から高かったことがわかる。
さて、この続きの後編は10月31日(土曜)に掲載させていただく。
『パワーウオッチ9月号(No.113)の記事より』
【10月25日(日)15:00よりインスタライブにて配信】
現在、日本橋三越本店本館6階ウォッチギャラリーで開催中の第23回三越ワールドウォッチフェアにおいて、東西ドイツ統一から30周年を記念した「ドイツ時計フェア2020」も同時開催している。腕時計からクロックまで20ブランドが集合。これだけのブランドの時計を一度に見られるのはここだけで期間は27日(火)まで。ぜひドイツ時計の魅力に触れてみてはいかがだろう。
なお、10月25日(日)15:00から僭越ながら筆者によるトークイベントがインスタライブとして配信される。グラスヒュッテ時計産業の歴史から戦後の復興までについて30分ほどお話をさせていただく。もし、ご興味があれば日本橋三越のインスタをチェックしていただければ幸いである。
問い合わせ先:日本橋三越本店電話03-3241-3311(大代表)