文字盤のスカルとベゼルにダイヤをちりばめたドゥラクールの1本は、ホテル内のショップで偶然見かけて買ったもの。庶民的なファストファッションブランドでも500万円近い高級腕時計でも、気に入ったらさらりと合わせとしまうところが何とも格好いい
普段はあまり時計を着けないという清水さんだが、時計といえば忘れられないエピソードがある。村田英雄さんのモノマネを引っ提げてテレビでブレイクし始めた、30代の頃の話だ。
「『ムラタだ!』というモノマネをしていたら、あるときご本人の番組に呼ばれてね。何を言われるのかなとビクビクしながら挨拶に行ったら、村田さん、『大いにやれ』と言ってくれたんですよ。『自分がいないところでお前がムラタ、ムラタと言ってくれるから、宣伝になる』と。そのとき村田さんにいただいたのがジバンシイの時計。しかも着けていた時計を目の前で外して、『昨日買ったばかりの時計だけど、これはお前にあげる』ってくれたんですよ。あれはうれしかったなあ」
村田英雄という“御大”が笑って認めてくれたことでモノマネは市民権を得た。それがなければ、マネされる側はみんなもっと嫌がっていたかもしれない……と清水さんはいまもそう思っている。マネをするのは“その人のことが好きだから”。そして“人が気にしている短所はマネしない”と密かに決めている。そんな清水さんの悪意のなさを、村田さんも感じ取ったのだろうか。
「あと、人がやったネタはやりたくない。栗田(貫一さん)が細川たかしさんをやったら自分はやりません。そうやって四天王で(幅広いレパートリーを)食い散らかしてきたって言われてるけどね(笑)。でもモノマネは発見だから、やり方次第で古いネタでも新しく見えることがある。若い人にはぜひ、『そこに行ったか!』と思えるネタを見せてほしいね」
若いころは何でも“欲しい!”と思った時期もあるが、50代も後半に入った頃から、何も要らないと思うようになった。高価なものを持つことにもこだわらない。Tシャツは“パパス”、ボトムは“ユニクロ”にほとんど決まっているし、お気に入りの白フレームのメガネは“眼鏡市”で8000円程度だったものだ。身に着けてみた具合は必ず確かめるが、“いい”と思ったら安価なものでも愛用する。一方で、気に入れば高価なものもサラッと買う。最近買った高いほうのアイテムのひとつが、ドゥラクールのジュエリーウオッチだ。
「白を着ることが多いから白い時計が気になったというのもあるんだけど、普段着けない時計をわざわざ買ったのは、何かちょっと新しいことに踏み出してみたかったんだね。本当は、60歳を過ぎたら仕事はやめてほかのことをしてみたかったんだけど、なかなかそうもいかなくて、せめてその代わりにとでもいうか。女房には『絶対着けないでしょ!』なんて言われながら、『いやこれから着けるから!』って買ったんだけど……やっぱりあんまり着けないね(笑)」
自分のことを“昔のことは覚えていないタイプ”と評する清水さん。ガッカリしたり落ち込んだりすることがないからストレスもない。いまは夏のバースデーコンサートを終え、次のライブの練習をしつつ、12月の個展に向けた絵の制作に没頭しているところだ。清水さんが言う以上に“新しいこと”を着々と引き寄せているように見えるのは、そんな軽やかさのせいなのかもしれない。
SHIMIZU AKIRA 1954年6月29日、長野県生まれ。『銀座NOW』(TBS系)への出演をきっかけに芸能界デビュー。その後『ザ・ハンダース』を結成、78年『想い出の渚』の大ヒットで有線大賞の新人賞を受賞。その後ソロタレントとして映画や舞台で活躍。87年『ものまね王座決定戦』(CX系)でチャンピオンとなり、“ものまね四天王”と呼ばれるようになる。10年前に始めた油絵も個展を開催する腕前。