シャネル J12のホワイトセラミックモデル。クロノグラフでベゼルにはダイヤを埋め込んだラグジュアリーなモデル。J12はこのほかにブラックモデルも持っており、シーズンによって使い分けている
世界中の自転車競技関係者から多大な尊敬を集める中野さんは、隠れた時計ファンでもある。きちんと時計ケースに収められたコレクションには、シャネル、ブルガリ、ロレックスなど、錚々たる逸品が並んでいた。
時計や指輪、ブレスレットなどの装飾品は決して嫌いじゃないね。もちろんそんなに頻繁に買うわけじゃないけど、カミさんがこの手のものを好きで詳しいから、買い物に付き合ったときにアドバイスしてもらって買ったり、一緒に海外旅行に行ったときに買うことが多いね」
今はほとんどなくなったと思うけど、僕の現役時代はクルマや時計をくれることがよくあったんだよ。
もちろんコレクションには選手時代に手に入れたものも多い。中野さんの現役時代は、レースの副賞として時計が贈られることも少なくなかったからだという。
選手になりたてのころは、自分で時計を買うことはあまりなかったし、むしろ副賞で貰うことが多かったね。今はほとんどなくなったと思うけど、僕の現役時代はクルマや時計をくれることがよくあったんだよ。クルマは何台も貰ったし、ロレックスを貰ったこともあるよ。ただそうやって貰った時計は、人に譲ったりしてあまり手許に残っていない。やっぱり自分で買ったものじゃないと、最終的には残らないよね」
後輩に希望を持ってもらう意味では、勝てばこれだけのものが身に着けられるってことを示すことも先輩としての役割だからね---
中野さんといえば、世界選手権10連覇という偉大な記録が有名だが、実はその選手権の旅先でも時計を物色していたのだという。
自分で初めて高級時計を買ったのは、初めての世界選手権で行ったスイスのチューリッヒだね。選手同士で何人か連れだって時計ショップに行ったんだけど、当時は自分もまだハタチそこそこの若者だし、全員がトレーニングのジャージ姿でしょ。ショップのオヤジがまるで相手にしてくれないんだ(笑)。それじゃ埒があかないんで、誰かが日本円で百万円くらいの現金を出してオヤジに見せると、急に態度も変わったね。お金を持っているってわかると、高い時計もどんどん出してくるんだよ(笑)」
そうやって手に入れていった高級時計だが、それは自分の脚力を頼りに得てきたものという自負がある。その思いが中野さんをトップに立たせてきたのかもしれない。
競技で走っているときはもちろん時計は着けないし、練習中も安いスポーツウォッチしか着けない。昔は高額な時計っていちいち申告しないと税関でトラブルになったりすることもあったんで、海外遠征のときも安物ばかりだった。選手時代は時計をする機会ってかなり限られるんだよね。ただスポーツ選手はみんなそうだと思うけど、後輩に希望を持ってもらう意味では、勝てばこれだけのものが身に着けられるってことを示すことも先輩としての役割だからね。今でも人前に出る仕事をしているわけだから、そのへんは心がけるようにしているよ」
NAKANO KOICHI 1955年11月14日、福岡県生まれ。1975年に競輪選手となり、破竹の18連勝という衝撃的なデビューを飾る。その後は主要タイトルを総ナメにし、日本のプロスポーツ選手として初めて年間賞金獲得額1億円を突破。1977年から1986年にかけては、世界自転車選手権プロスプリント部門10連覇という大偉業を成し遂げ、世界の自転車競技の頂点に立つ。1992年に現役引退。現在はJKA特別顧問として自転車競技の普及に尽力するほか、タレントとしても活躍。2006年には紫綬褒章を受章している。